もう個別にツッコまない2 もしくは独断と独善と偏見と妄想によるナカタ論

ヒデつながりで思い出したんだが、会社の20代後半女子がこう言うわけですよ


「ナカタってウザいよねー。嫌味にアルマーニのスーツ来てさー。アレでカッコいいとか思ってんのかねー。ねー? 似合うわけないじゃん日本人が。あと空港で出てくるときスーツキメキメにしてるじゃん。あれ絶対その前にトイレであわてて着替えてるんだよねー。あほっぽーい」


えーと、マジレスすると、ナカタはあなたのためにアルマーニ着てません。
当たり前か。
じゃ、ナカタのアルマーニは誰に向けられているのか。


言うまでもない、少年たちにむけて、だ。


ところで、彼は己のサッカーと同じくらい、日本サッカーを愛している。否、『日本サッカーの未来を愛している』。彼は本気で5年後、10年後の日本サッカーをワールドクラスに引き上げるという使命を己に課してる。


だから「アルマーニのスーツ」なんだ。


彼はヒーローになった男だ。中村が「周囲からヒーローとされている」のに対し、彼は彼自身の意志によってヒーローを引き受けた/引き受け続けている。
ヒーローとは何か。少年たちが仮面ライダーを見て「仮面ライダーになる!」と思うことだ。少年たちがウルトラマンを見て「将来の夢はウルトラマン!」と応えた瞬間から続く日々のことだ。そういう現象のことだ。


ナカタはヒーローになった。
そのスーツはあなたに向けられていない。



わかんねぇヤツは劇場版クレヨンしんちゃんでも見れ。




クレしん1


クレしん2

もう個別にツッコまない

たとえば俺の友人がステキな女性/男性との飲みの席で「はは、おかしーね、その人。じゃあそのgntさんって人は芸能人で言うと誰に似てるの?」と問われたとき、彼/彼女が答えに窮するのはまざまざと目に見えており、なんだか私めの所為で話の腰を折ってしまいよろしくやる可能性を奪ってしまい相済みません申し訳ないもうしません、と仮想の友人に謝り倒したい気持ちでいっぱいになってしまうわけだが、
本当にごくごく一部の層の人間にとって、俺はある有名人に似てるように見えるらしい。


曰く、
「あー、キミはアレだ、あのー、あーサッカーの中田に似てるよね」。
悉くおっさん。


おっさん、目が細くて馬面で髪が短けりゃ誰でも中田かい。(しかもそれでは浩二かヒデか区別つかんよおっさん。まあ、世代間の共通言語を必死に選ぼうとしてくれて、出てきたのがサッカーの話題、というのは非常に喜ばしい、とも思う。多分20年前には『あーきみはアレだ、サッカーのネルソン吉村に似てるね』なんてことを言えるおっさんは極小だったわけで<もしいたら、『中田』の時のように曖昧な追従笑いなんか浮かべる必要もなく、ミリセカンドで意気投合できただろうが>)