もうひとつ思い出した。

下で「『にらぎ鬼王丸』は股旅モノ」って書いたけど、よく考えてみると、非常に非常に古典的な(それこそプロップくらいの)、そして非常に西洋的な物語構造を、あえて採用しているのではないのか、と思った。なんか、ビルボ=鬼王丸、ガンダルフ芭蕉みたいな。アレも「意識的に」古典的構造を持たせた物語だ。でも実は、最終話の「王の帰還」的なオチから思いついた、ただのカン。今度見直してみよう。