「闇打つ心臓」80年/監督:長崎俊一

メインねー。
つーかですね、この方面に手を出すと待つのは奈落のみ、というのが分かり切っていたので控えてきたのに。あと、高校・大学と地方にいたのも大きい。東京に住まなければ、少なくとも京阪に住まなければ、映画を語りうる資格は得られない(物理的に)という僻み丸出しの固定観念はたしかにあった。そんで、今回見て「やっぱ大学は都会でないと無理だ」と確信したわけですが。なので、今日も弩素人の感想文です


「おれ語り」はどーでもいい。

感想(それもどーでもいいが)。

えーと、先週末に公開された「闇打つ心臓Heat,beating in the dark」の元ネタですね。元ネタっつーか。
「伝説の」という冠詞がつくだけあって、ものすごい緊張感。というか、緊張感だけしかない映画、という感じ。ストーリーなんてあってないようなもの(若い夫婦が赤子を虐待死させて、友人のアパートの空き家に飛び込み一夜を過ごすセックスしたりフラッシュバックしたり。以上。)で、その緊張感はカメラワークと、演技と、不吉なガジェットで作られている。口紅で背中に大きく「芳子」と書いてあるのとか、あまりの狂気に笑っちゃったほどだ。


監督の長崎が初の35mm商業映画で事故に遭い、またその制約に疑念を抱いたことが、この8mmを撮った動機となったという。スピード、少人数、低予算つまり監督の操作性・全権性の復活。トークショーで長崎は「日本のヌーヴェルヴァーグを撮りたかった」と言っていたが、まさにそういう映画。

回想ダイアログシーンはなぜか話者が入れ替わり、内藤剛のモノローグでは意図的に音ズレをさせたり、フレーム外でカメラの後ろを回ったり、と見ていて飽きさせない。本家ヌーヴェルヴァーグと違うのは、きちんと(!?)「ドラマ」を入れているところ。長崎の職人肌がかいま見える。おかげでこれほど実験的、かつ舞台は部屋一つだけ、という聞いただけで怖気が出てくるような映画にもかかわらず、118分間飽きることはなかった。

もひとつ発見。内藤剛と室井滋の位置づけ、について。

室井滋が“自主映画の女王”なる異名を持っているのは知っていたが、これほどシリアスに『女』を、『女優』をしているとは思わなかった(失礼な話だ)! ちなみにこれはこの夜に見た他作品で、確信に変わる。そうか、「OUT」の演技が本来の姿だったのか。
内藤剛。なんだこの滲み出す暴力性は! 現在の俳優でたとえると、松田龍平を5倍くらい濃くした感じ。ホモっぽい雰囲気と、無愛想、暴力。20年たつと「みゅ〜〜〜じん!」とか恥ずかしげもなく言えちゃうようになるんだなぁ……