「日本語はラップに向かない」??ハア?(AA略

「オルタナソウルエイリアン」なるサイトに釣られてみる。
ちなみに、音楽的バックボーンの差異は「じゃーおまえこれさいこーやぞーしっとんのかー」という小学生的印象論に陥るので論に用いない。(ただ、批判するからには批判対象を充分に検討すべき、というのは基本姿勢だと思う。攻撃方法を考える前に。自戒。んでエミネムとリップは持ってるけど、そこを比べるのは技術云々以前にアティテュードの問題で恣意的誘導だと思う。やっぱりライムスター?)

曰く

まずこちらのサイトを簡単にご覧下さい。ここでは日本語および英語の音程とリズムに関して、次のようにな差異が指摘されています。

日本語
・ほぼ四分音符からなり、リズムはほぼ一定
・音程はミからラのわずか4度程度のところを
 行ったり来たりするのみで高低差が小さい

英語
・二分音符、四分音符、八分音符などリズムが多彩
・そのため単語同士が繋がったり、変化したりする(リエゾン
・1オクターブも一度に変化するなど音の高低差が大きい
・そのため強弱のはっきりしたアクセントが見られる

証明・解説は参照先を見ていただくとして、これは大変興味深い話です。要約すれば、「日本語よりも英語の方が音程とリズムがハッキリしている」ということであり、音の「強弱」「高低」「緩急」で決定される言語の「流れ」=「フロウ」が日本語は乏しく英語は豊かであるという、まさにそのことが言及されているのですから。日本語ラップを聞くと抑揚が無く、テンポが同じで念仏のように聞こえることがありますが、それは日本語本来の音程・リズム構造からくるものだったのです。

では、ラップにおけるもうひとつの重大な要素、「韻」=「ライム」についてはどうでしょう。これについてはもっと容易に答えが出てしまいます。というのも、ある特定の言語において意味が区別(弁別)される最小の音声単位を「音素」といいますが、日本語における音素の数が25個であるのに対し、英語はその1.76倍にあたる44個もあるのです。


日本語=母音5+子音20=音素25
英語=母音20+子音24=音素44


単純ですがあえてたとえ話をすると、日本語を3オクターブ分の鍵盤とした場合、英語は5.28オクターブ分に相当します。どちらの鍵盤による音楽表現がより幅広いかは言うまでもないですよね。同じようにどちらの言語による韻表現がより幅広いかについても自ずと答えは出てくると思います。

ふーんへー。じゃあ、単純ですが漏れもあえて例え話をすると、「パンクはプログレに比べてコードが少ないから、プログレのほうが音楽表現が幅広いことは自明である」ってテーゼも成立するわけだ。


ていうか、またもやこの話題も遅くて、論理面での反証は万来堂日記さんの「日本語とラップ」で、歴史的な批判はニーツオルグさんの「外部の情報#108」で既になされているのであった(ニーツオルグさんはやっぱ良心的だなあ)。どっとはらえ。


付記:「○○人種は□□という性質を先天的に持っているから劣っている/優れている」という論理展開は、もうお前それ100年前から変わんねんだよそれお前それ(C)宮本浩次。一般的な器質・構造を以て文化全般を論ずることは、ずいぶん前に文化人類学によって「本質主義」として完膚無きまでに否定されていることを筆者はご存じないらしい。人文学が世に与える影響とはかくも小さきものよ(慨嘆)。スチュアート・ホール嫁。

ガストロンジャー






付記2:あと「タイニー バ ンクス」は「よく知らない」とは言え、ものすごい恥ずかしい誤字なのでやめにしましょう。

付記3:つまり何が言いたかったのかというと「あんたの『キライ』をトンデモ理論で『劣っている』にすり替えるのは(現実的に賛同者が出ている時点で)有害にすぎる」かな。