らくだのひとりごと6月6日の記事より

「発砲に言い訳は必要?」

警官が発砲すると必ず出てくる「適正だった」とか「適切だった」とかいう警察のコメントって、本当に必要なんだろうか。どうも無意味に思えてならない。

以降はhttp://rakudaj.seesaa.net/article/4178634.htmlで。ちなみに今回、基本言いっぱなしの覚悟です。

さて、
もしこの記事が(コメント欄も含めて)「バンバン撃てよ。治安悪いんだからさ」といいたいのであれば、反対。
まずは実際の効果において。‘その瞬間’、拳銃弾による制止力を頼りにするのは愚か(38口径ならなおさら)。威嚇射撃で止まらない人間は、実際に中てても止まらない、と考えるべき。(参考:ttp://www.h5.dion.ne.jp/~gun357/wirksamkeitundwirkung.htm)
ただし、中たりゃ結構死ぬし、障害が残るのは当たり前。もちろん後で。流れ弾も跳弾も貫通弾もある。


紋切り型が問題?「紋切り型イクナイ!」という主張は結構(俺も個人的に嫌いだし)だが、この記事では好悪感情以外の根拠が読みとれなかった。パターン化は、高効率、高速度でデータを「中学2年生にも分かるよう」な文章にするためには必要なシステム。売文の宿命(ただ、それをエクスキューズに変化が止まってしまうのは、当然ながら問題がある。杞憂だね)。
ちなみに「時代遅れ」という意見には「ブログなんか書いちゃって最先端でナウなヤングの皆さんだけが『時代』じゃないんでゲスよ」という反論を前もって用意しておく。


さあ、そろそろ閑話休題だ。本題だ。シメだ。

じゃあ「わざわざ言うことじゃないじゃん。相手犯罪者なんだしー。ナイフ持ってるしー常識じゃーん」てことなのか? 彼らは「常識」や「判断」や「恣意」、ましてや「‘大多数’の人の意見」で撃つのではないし、撃ってはならない。あなたの意見で彼らは撃ったり撃たなかったりしない(迂遠な話をすれば別だが、とりあえず現時点では)。
彼らが撃つのはシステムとして撃つのであり、法として撃つのである。そして常に、そこに存在する弾丸はシステムとして撃たれたのか、法として撃たれたのかを検証されねばならない(当然だ。でなけりゃあんな暴力装置を容認したりはしない)。具体的には国家公安委員会規則の「拳銃警棒使用・取り扱い規範」であり、警察官職務執行法であり、ひいては刑事訴訟法によって。その結果としての「適切性」の発表だ。
それが、「無意味」? は は は 。それは「トリガーハッピーポリスが町に溢れようが、いきなり般ピーを派出所に拉致監禁しようが構わない」と言ってるのと同じだ。「アウトローよ、ようこそ!絶対個人主義よ、ようこそ!!アナーキーよ、ようこそ!!!!」って宣言だ。かっこいーーーーーーーーーーーーーーー!
http://www.d-uso.to/news/news0102.htm

つまり感情的になるな、ってことだ。もちつけ、ってことだ。<オマエモナー(AA略

とか言いつつもう少し絡む

同ブログ5月8日の記事
「雑誌取材を断った」
http://rakudaj.seesaa.net/article/3515087.html

「マスコミ=悪」というかたちでどうやら合意が形成されているらしく、マスコミ擁護論者えぶりぃさんボコボコ。
「通りがかり」さんが特にもう爽快。「思い上がってる」とか言っちゃってもう、そのうち「マスゴミ」まで言ってくれんじゃないのかってくらい。ブラボー!
んでもって、こっちからは「マスコミ」ひとくくりで貶しといて、向こうから「や、違うンすよ、僕達かて仕事やし…」と言ってきたら「個人の責任において発言したまえ」!シビレる!濡れる!ジュンッ!もう最強。負けるわけない。いや惚れ惚れしますね。